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【京のいろ】角屋「台所」 客の宴を支えた50畳


現在の料亭に当たる「角屋(すみや)」の台所の造りは、意匠を凝らした座敷と違っていたって素朴だ。神棚や帳場…市中の商家と何ら変わりはない。しかし、決定的に違う点が一つある。それは大きさ。広さが50畳もあるのだ。文人の句会や新撰組など一度に多くの客が宴を催した。それを支えた台所は、役目は終えたいまも昔のまま保存されている。
 ■角屋「松の間」 二世が伝える往時の姿
 角屋は1641(寛永18)年、幕府命により六条三筋町(下京区)から島原に移転した。「当時はあたり一面が田んぼ。その中に1本の松があり、神木として近隣の信仰を集めていました。だから、松は残して移築したんです」と、財団法人「角屋保存会」理事長の中川清生(きよお)さん(61)は話す。
 地域の祈りの対象だった松は、根本に白砂を敷き詰めて庭に取り込まれた。「臥龍松(がりょうのまつ)」だ。安藤広重は浮世絵のモチーフにし、京名所として江戸で紹介した。1本で臥龍を形作るほどの見事な松。広重に限らず、訪れる文人、墨客、画人らの格好の題材になった。立派な松に正座し、対峙(たいじ)していると-。
 「残念ながら、大正時代末期に枯れてしまい…」と、中川さんは声を落とし、庭を眺めて続けた。「現在のものは二世です。1本で復元するのは無理だったようで、3本で当時の枝ぶりを再現しています」。臥龍松が最も姿美しく見えるところが「松の間」だ。広さ43畳。角屋一の大座敷である。
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